STATEMENT≫ 

2009.12.25

病院の建築ということだが、なぜ今病院の建築なのだろうか。

一つとして、自分住む長野県安曇野市内に赤十字病院の改築が行われることとなったからである。同じ市内の病院であるから地域医療にも大きく影響があるだろうし、建築的にも新しい可能性を示してくれるかという期待があるからである。

そこで自分なりに地域医療について考えるきっかけとし、あまり目を向けてこなかったこの公共建築に対してもさまざまな考察をしてみたいという気持ちがあるからである。

それゆえきっともう工程が始まっているので徐々に見えてくる構築物と平行して対抗馬なるものを同時進行で走らせていこうということでこのテーマにいたったのである。

やってみたいのはシステムとして新しい病院。総合病院なので外科、内科、歯科、整形外科、麻酔科など専門ごとにセパレートされて設計されることが多かろうと思う。かつ担当医も一人ということになり患者はきっとチームで医療を受けているというよりはその個人にかかっているという影響が多いと思われる。しかし何かお医者さまがいつも目に見えるつまり人を見ている、見守っている、というのが本来の医療の方向性ではないだろうか。結局、癒されて直っていく場合もそれは人間の持っている自然治癒力をアシストしているというのが医療に対する正しい捕らえ方ではないだろうか。

そこで建築として新しいもの新しい形を強いることによって全体性や他から目の届くような(物理的に)健全な開かれた建築物を、医療現場を創造できるように提案するものとしたい。ごく最近でも人工心臓の治験の問題があった。植物状態になっていた人の心臓に人工心臓を入れたまま形だけの承諾書に親族からサインをもらいそのままデータを取り続けていたということである。治験の担当医はまったく問題ないとの意思を示した。医療現場の研究や臨床の面が強くなるとますます必要ではあるのだが内向的に医療そのものの革新にもっぱらの注意と関心が頭の中がその考えでいっぱいになってしまうかもしれない。分担も大事だが医者が健康状態を促進するために患者と心身の伴ったやり取りをするということが組み込まれてきたほうがいいのかもしれない。

しかし開かれた病院にいるとそうした考えは抱かれにくいということがいえると思う。よって仕切られ方を工夫する。空間的にも患者サイドから見ても中央というのを一番大事にする。よって院長や役職が上がるにしたがって奥のほうに行くというような序列型配置は行わない。一番把握している人それが院長であろうと一人の有能な看護婦であろうとセンター真ん中にセンターにこれるようにする。情報というところでは電子化を進める。可視化できるものを大きく使う。

また、さらにこうしたシステムが全国的にも有効的であるとの感触から全国的な地方医療の中心存在としてとしての新しいシステムも提案する。

町医者とのネットワークまた、地域医療のセンター同士のシステムという点で効率化を図り医師不足、医師の仕事の激務化を軽減するだろうと目測される提案になれば幸いである。

 

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