「直近3年間と15年前の3年間」2016.1.1

今日はざっくばらんに書いてみようと思う。

駄文であるが、
お付き合いいただければ幸いである。

まず今日は、
2016年を迎えることができたわけであるが、
このことが私にとって、
私たちにとって素晴らしい。

この地球が今なお機能しており、
私たちが幸福に暮らしていくだけの、
十分なものが与えられているのである。

そんな一見あたりまえになってしまうもののありがたみに強く、
心を打たれている今日この頃である。

さて、
大掃除が実は終わっておらず、
なんと予定だと2016年の1月いっぱいまでかかる予定だ。

というのも、
根本的な整理整頓を考察したからである。

やはり、
ものには寿命というか、
賞味期限があったりする。

自分の状況も変わることがあれば、
ものの状況が変わることもある。

それで、
状況が変わったならば、
その状況に合わせて、
ものは自分の元を巣立ち、手離れし、
役目を果たし終えたりするのだ。

手書きのノートで捨てられないものがいくつも残っていた。
なかなかやろうと思っていいてできなかったデジタル化。

ノートをスキャンしてPDF化し、保存し、
いざ見直したいと思えば、
見れるようにする。

そして、
書いた現物そのものは、
シュレッダーで細断するなり、
処分するという工程だ。

実は、
その書類の中に、

事業アイデアのメモがあったりした。
2013.11.27の日付でプレゼン資料のメモが10枚程度のスライドの構成が描かれている。

大して今考えていることと変わっていない。

時間が3年も経った割に、
言っていることが変わっていないことに少し、
憮然となった。

が、
見えない変化がいくつもあるし、
一つのアイデアもひらめきが1%。
その後の後の実行は99%ともいう。

であれば当然だ。

東北未来塾NHKを見返したときの、
チームラボ猪子寿之代表の言葉だ。

ひらめきは、自由に!
制作は、泥臭く!

それにしても、
今日の15年前の3年間に区切りをつけた。

どういうことか。
実は、
わたくし、
生活ノート(中学生の時に書く)を未だに処分せずに持っていたのだ。

ちょっと前に、
片づけをしていた時に、
手が止まって、
その後に手をつけていなかったのだ。

そこから始まった。

生活ノートもScanSnapでスキャンし、
各ページを保存した。

まずは、
表紙をさばき、

そして、
ホチキスのフックを使い、
金具を外す。

A4であれば、
重ねたものを自動送りでスキャンしてくれるので、
押切カッターで裁断する。

ページは、
ノートを切ると両側に仕分けすることになる。

意外なことに、
毎日書いていない。

量でいうと、

1年が全体の2/3
2年が全体の1/1
3年が全体の1/2

といった感じだ。

自分にとっての生活ノートは、
考えるに、

書ける時に書くものだったのかもしれない。

それにしても、
先生の言葉が印象に残り、

人を褒める。
人を励ます。
人をやる気にさせる。

など、
いろいろなスキルを感じた。

そして、
驚いたことに、

2年の最後のページ、
おそらく中学生活の中でおそらく自分なりの山場を登りきったところであろう、
2年の終わりに、

いづれこの生活ノートを振り返る時が来るだろうとコメントしてある。

そう、
どうやらそれが今日だったようだ。

なんとも時間がかかったものだ。

それでも、
かかった時間の分だけ、

振り返りの思いも感慨深い。

その他にもいろいろな気づきがあった。
本を読む大切さを感じながらも、
いまひとつ読めていない中学時代とか。

自分の失敗とか。

先生への大胆な提案とか。

社会に対する思い切った宣言とか。

また、
詳しく紹介するときもくるかもしれないが、

本当に面白いものだった。

実は、
デジタルで残しておいたのも、

専門家に分析にしてもらったら、
面白いのではないかと思ったから取っておくことにしたむきもある。

例えば、
最近読んだところでいくと(Amazonのサービスの朗読再生 Audibleというのを活用しているのだが)

「このまま何もしないでいれば1年後も同じだが潜在能力を武器にできれば人生はとんでもなく凄いことになる」
メンタルトレーナー 久瑠あさ美先生

などが考えられる。

自己分析には、
興味があり、
自分自身もその手の専門家になろうというむきもある。

メタ認知と言われる、
自分自身を知る・分析できる・自分の能力に合わせて調整できる
といった能力開発の分野だ。

それには、
まず自分が開眼しなければならない。

それがやはり大切だ。

あとは「継続は力なり」

生活ノートに何度か出てきた言葉だ。

いま少し、
その力を伸ばせていない。

中学時代から成長が止まっているのかもしれない。
そんな気にもなれば、
踏ん切りがつくものもある。

仕事についてのテレビ番組も今日見ている。
タイトルは、

バック・トゥ・ザ・21世紀
〜気づけば未来は溢れていた〜
第1章 21世紀の仕事

21世紀の仕事についてである。
自身は仕事について調べていることがあるし、
新しい仕事の作り方・新しい仕事の構築方法・新しい仕事に参加する方法・新しい仕事上の関係性など、
様々な観点で見識と洞察を深めたいと思っている。

それで、
テレビの番組検索ワードに「仕事」と登録してあるのだ。

時たま時間があると、
どんな番組が引っかかるかなと引っかかった番組リストの中から
いくつかを選んで予約するのだ。

そもそも、
これは苦言になるのだが、
テレビを受け身で見ている人があまりにも多い。

というのも、
これは私自身の見解ではない。

名だたる教育者の発言だ。

そして、
テレビを4時間以上見ている子供は勉強ができるようにはならない。

受け身では何も身につかないのだ。

しかし、
確かに例外はあると思う。

それは、
自分のように、
リサーチツールとしてテレビを使っていること。

自分の決めたテーマであること。
そして積極的にメモ取ったり、

気になったところは写真に撮るなどして、
勉強のためにテレビを見るということだ。

概して番組自体は、
時間とエネルギーが投入されているものだから、
面白さや感動のために工夫の施されたものなのだから、
学ぶところは多い。

しかし、
自分が楽しませてもらう側ではなく、
楽しませる側になるために見るのが大切ではないかと思う。

もちろん、
純粋に気晴らしに、
見るのももちろん結構であるのだが。

さて、
そんなわけで仕事の学びをもう少しシェアしたかった面もあるが、
今日はこの辺で失礼することにする。

それでは、
Good day.