結婚における意思決定 個人主義か集団主義か

 
 
 
 
できた!
 
発行者のSINYA OONOです。
 
今日は、
明日が「自己決定論/後悔しない意思決定6プロセス」
 
の発売ということで、
まだ執筆作業に追われております。
 
実は来客もあり、
昨日は手を休めましたので、
ちょっと追われております。
 
さて、
 
今日のテーマですが、
やはり執筆の中から得られた気づきや理解をお伝えさせていただこうかと思います。
 
まず一つ目。
 
インドのデリー生まれのシーナ・アイエンガーさんの
著書「選択の科学」から。
 
彼女は、
インドからアメリカにいき、
はじめての本でこの「選択の科学」を著しています。
 
とても興味深い本ですし、
境遇からしても是非お会いしてお話ししてみたい人の一人になりました。
 
英語のタイトルは、
「THE ART OF CHOOSING」
「選択の科学」と訳されていますが、
 
どちらかというと、
技術・芸術、
工芸的な技術という技ありの技という意味を本来は伝えているのですが、
日本語タイトルを決める際には、
こうしたスキップ、跳躍はしばしば起こっているようです。
 
さて、著書の中で私が最も印象に残ったものに、
シーナの両親が結婚した時の写真が挙げられます。
 
日本でも、見合いというものがあったこと、
両親や親族や知り合いのススメによって結婚が成立するという文化があったことは
知るところであります。
 
もちろん、そこにその両親や親族や知り合いによる深い本人に対する理解や共感や知見が、
その人の人生にベストな伴侶を選択するという本人の意思決定の代わりとなるほどに、
 
知恵や愛に富むものでもあったということは、
否定もしないし、
そういうケースも多かったのではないかと思います。
 
つまり、言い換えるなら、
恋愛予定説というか、
 
両親や親族や知り合いが、
 
この二人なら仲睦まじく、
生涯恋愛を楽しみながら、
楽しく人生を送れるだろうと善意を込めて予測した上で、
 
見合いというものが、
成り立っていたという解釈が成り立つのではないかと思います。
 
 
こう考えると両親や親族や知り合いの知見というものは、
むしろ個人の幸福な決定や決断に寄与するものであるという解釈も可能になってくると思います。
 
 
何か時代が変わり、
結婚も見合いから恋愛結婚に変わった
などと言われるとさも本当らしく聴こえてしまうのですが、
 
実は、本質は変わっておらず、
 
結婚を構成する要素は、
むしろ普遍的なままではないかとも思うわけです。
 
ただ、より個人が自分自身を知ることや多様性が広く認められるようになった
という変化はあるかもしれません。
 
それは、地球が一秒たりとて、二度と同じ位置にいないように、
自転し、公転し、太陽系、銀河系もとろも宇宙の大海原を旅しているのと同じようにと言うことができます。
 
一秒一秒私たちの認知できていないところで、
莫大なスピードと大きさの物量が動いている。
 
宇宙は大きい。
 
小さな小さな青い星。
水の星。
 
宇宙船地球号は、
今日も進んでいきます。
 
さて、
 
日本の見合いとて、
男性が女性の顔を結婚式当日まで、
みたことがないということはなかったのではないかと思う。
 
シーナの父親は、
シーナの母親の顔すら、
結婚式当日もしばらくは見れていない。
 
式が終わるとようやく二人で顔を見せての写真も本書には収録されている。
 
イスラム社会における女子保護の観点は、
自由を奪うものなのか、
自由を守るものなのか、
 
これは、宗教的な問いでもあり、
思想的な問いでもあるが、
答えを必要としてはいない。
 
シーナの父は、
シーナの母がとても美人であったことに満足しているような
そんなビッグスマイルを見せている。
 
これは一つの解釈であるが…
 
もちろん結婚できたことのスマイルと安堵とそのものの幸せからくるものが大きかったとも推測できる。
 
さらに、その同じ章に面白いエピソードも出てくる。
それは日本でのエピソード。
 
著者が、喫茶店で緑茶を頼むのだが、
砂糖を入れたいと言う。
 
店員と店長は、
砂糖は切れているのでと言い、
著者はコーヒーを頼む。
 
そうすると出てきたのは、
砂糖がふた袋が鎮座したコーヒーがすぐに出てきたと言う。
 
この事例をして、
個人主義と集団主義の日本における文化的特性を著者を論じているが、
大変興味深い。
 
緑茶に砂糖を入れると飲み方をしたい個人をむしろ受け入れようとする文化と、
その飲み方を集団的な合意を優先して受け入れないことをよしとする文化だ。
 
個人を追求するものは異端者と見なされるのか、
集団そのものが多様化していることで、
どんどんと価値観の多様化が見られる中で、
こうした事例も今となってはレアなものになってくるとは思うが、
著作は2010年まだ一昔前というほど昔の出来事ではない。
 
出来事は1995年。
京都での出来事だった。
 
著者は2、3ヶ月の滞在の中で一番驚かされた出来事としてこの出来事を挙げている。
それだけ日本には驚異の世界を喜ばせる、
驚かせる能力を持っているともポジティブに受け取ることもできる。
 
 
著者は同章で、
個人主義と集団主義の系譜を対比的に論じながら、
 
その中でもあるキーワードを抽出して論議を進めている。
 
それは、「義務」と「天命」だ。
 
ここでは人生の置いての使命と受け止めること、
人生においてなしていこうとすること、
そんなふうに捉えていこうと思うのだが、
 
集団と個人の「和」中から、
「義務」や「天命」を見出そうと努める集団主義と
 
あくまで、個人の中から、
「義務」や「天命」を見出そうと努める個人主義というような対比がある。
 
どちらにしても、
同じものを違った角度から見ていると思えるし、
おそらく360°ぐるぐる視点で見るなら、
両方とも同じものを見ているのかもしれない。
 
ただし、そこから著者のあっと言わせる結論が引き出されている。
 
「究極の幸せは、
 選択を行うことではなく、
 義務を果たすことで得られる」
 
ということだ。
 
今回の自分の企画には、
選択ないし、
自己決定や意思決定ということを決断するというテーマで追いかけてきた。
 
もしかするとそれは、
選択する余地を減らすことだったのかもしれないし、
 
自分が与えられたチャンスをしっかり調べること、
植えられた土地で花を咲かすために必要なことを知るために、
 
果たすべき「義務」や成し遂げるべき「天命」を知るための活動と捉えることもできるゆえに、
この本の意義は自分の中では、
もう一歩進んだものになった。
 
 
なるほど。
とてもこの著者においても感謝である。
 
 
そして、それは果たしたい「義務」果たすことのできる「義務」へとなり、
そして、それは成し遂げたい「天命」成し遂げることのできる「天命」へと変化していく。
 
 
これこそが、「意思決定」から「意志決定」へという
志を立てる、立志立脚の精神につながると思っている。
 
 
基、
恋愛論における意思決定において対照的に論じているのが、
「シンデレラと王子様の物語」とタージマハールで有名な「シャー・ジャハンとムムターズ・マハルの物語」
である。
 
シンデレラもムムターズ・マハルも理想的な結婚の物語とするならば、
両者の違いは興味深い。
 
著者によれば、
シンデレラ・ストーリーの主たるメッセージは、
 
ヒーローもヒロインは心からの願い
(二人で階級による制約や家族の反対に公然と立ち向かい自分たちの選択した道を歩む)
を実現するために、
努力しなくてはいけないというものである。
 
そして、二人の選択が実現したことによって、
婚礼によって物語は終わっている。
 
省略されているのは、
その後のいつまで、
どのように暮らしたかだ。
 
しかし、ここに前提となる世界観がある。
 
二人は、愛ゆえに互いを選んだのだから、
何もかもうまくいくに決まっていくというメッセージだ。
 
しかし、
ムムターズ・マハルの場合、結婚自体は自分の決定ではないところで決まっていた上に
それは14歳の頃で、5年間待ってから結婚するというもの。
 
そして先ほど述べた、
 
 
「究極の幸せは、
 選択を行うことではなく、
 義務を果たすことで得られる」
 
 
結婚や結婚後の暮らしについて教えてくれている教訓としてあげられているものである。
 
その宮廷の記録係の記録により、ムムターズのよい伴侶ぶり、
信頼される助言者、
慈悲深い影響力を及ぼす人として描かれているという。
 
 
そして、これらの二つのストーリーを踏まえた上で、
「人が幸せをどのように定義し、
 どのような機銃で結婚の成功を判断するかは、
 親や文化から受け継いだスクリプトによって決まる」という。
 
そもそも恋愛婚という概念自体、
 
1450年ごろ、
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」的な世界観であると著者は説明しており、
それはシェイクスピアの発明ではなく、
イギリスにおける宗教改革だったとしている。
 
この発見もとても興味深いが、
真の結婚生活に向き合ったことのある人ならば、
個人か集団かの論理において、
どちらかを決定できるのではなく、
自分の中での個人の定義、集団の定義とその理解、応用こそが
大切であることに疑問の余地はないことだと思う。
 
個人主義か集団主義かの二択ではなく、
そのグラデーションの中に自分の色を見つけるのである。
 
つまり、私たちは、
シンデレラでもあり、ムムターズでもあり、
シンデレラからムムターズの中のグラデーションの中に、
自分の色を見つけることが幸せの定義になるのではないか。
 
そんなことを考えている。
 
設定されているかのように見える、
A案、B案、
二項対立、
の選択ではなく、
 
第三の道
 
その間に現れてくるかもしれない、
 
「中道」を探し当てるものなのである。
 
 
何がベストかを知っているのは、
この世界の誰かではなく、
あなた自身だ。
 
CHOOSE THE BEST,
KNOW THE BEST.
 
私たちは、
ベストを知り、
ベストを選ばなくてはいけない。
 
 
結婚とは、確かに人生における重要な決定や決断の一つだ。
そのテーマにおいても、
今回の研究、調査、記述が役に立つものと願っている。
 
 
 
 
 
//////////編集後記//////////// 
 
楽しかった執筆作業もあっという間に終わってしまいました。
夢のようにさめていきます。
 
それは、でもよいことだと思っています。
集中して、
そして期限が来る。
 
何かを作るときに、
参考にしている概念があります。
 
確か、「スターウォーズ」で有名なジョージ・ルーカスの言葉だったと思うのですが、
 
「作品を生み出すんじゃない。リリース(解放)するんだ」。
という言葉があります。
 
すごく言い得ているなと思います。
ある程度の期間、
私たちは制作期間のようなものを経て、
色々な考えや作品を預かります。
 
でも、それは子供のように時期になると旅立って一人で歩き始める。
 
それゆえに、その作品が成長し、何を成し遂げるかを見届けようじゃないかというもの。
 
成長させるのは、
親じゃない。
 
親は成長を助けているだけだと。
 
なるほど。と思いました。
 
今回取り上げた数々の洞察を与えてくれたこの本にも感謝です。
 ↓↓↓
「選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義」シーナ・アイエンガー、文藝春秋(2010)
 
そして、今日が発売日!
 
「自己決定論/後悔しない意思決定6プロセス」
 
発売後3日間だけ270が99円になっています!
 
そのあとは、
多分、段階的に?値上げになる予定なので、
気になる方は7/1-4の期間にお見逃しなく!
 
 
SINYA OONO
 
 
 

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