日本はまだ”幼虫”? ~”蝶々夫人”に見える日本の100年超の系譜~

 
愛ってなんだろう?
 
発行者のSINYA OONOです。
 
今日は、
オペラシリーズの第2弾になるかもしれませんね。
 
 “蝶々夫人”という歌劇を取り上げたいと思います。
 
なぜ、
オペラつまり歌劇を取り上げ始めたかということを最初に触れておきます。
 
それは一つには、
総合芸術であるということ。
 
総合芸術とは、
私の今の定義にはなりますが、
 
芸術の色々な要素が合わさって一つの芸術になっているとものをいっています。
 
語源としては、
ドイツの音楽家リヒャルト=ワグナーが、
自身の楽劇につけたことからきているといいます。
 
ですからドイツ語ですね。
さらに辞書を見ていくと、
Syntheseという言葉が出てきます。
 
対照する言葉として表されているのは、
分析となっています。
 
その分析とは、
分解していく過程に対して、
 
総合とは、
それぞれの命題を全体的に統一して構成していく過程が含まれています。
 
「総合学習」などと言われます。
 
これは、
算数・国語・理科・社会といった個別の確立された教科の枠組みを超えて総合的に進める学習のことを言っています。
 
以前に少し教育のことを書きましたが、
教科を皆が同じものを学ぶのではなく、
総合的に進める中で、
必要な教科の学習内容をおさらいするということで人生の勉強は大丈夫であるということが言えます。
 
 
人生に一度も使うか使わないかわからない詰め込み教育をやらされていて、
正直に言って、
学校に行けない子供がいても全く不思議ではないと思います。
 
ある意味、
引きこもり、不登校は正直な意思表示だなと思います。
 
 
集団で何かやることを楽しんだり、
意識を他に繋げなければ、
学校という場の学習はどこかつまらないものになりがち。
 
それを今後より面白く、
分析的に細かくディティールに入っていく楽しさ。
 
そして、
それらを統合的に構成する両方の楽しさ。
 
真の学びの楽しさを伝えていくように、
学習が進歩・進化していけばいいなと思っています。
 
歌劇の話からズレてしまいました。
 
他にも総合格闘技なんていう、
総合がつくワードもありますね。
 
ボクシングやキックボクシング、
相撲、プロレス、ムエタイ色々な格闘技がありますが、
それをある形式で統合して競技化したものですね。
 
さあ総合芸術に戻りましょう。
 
歌劇には、
音楽があります。
 
オケがいます。
そして、歌い手がいます。
 
衣装があり、
舞台装置があり、
ある意味建築的要素もあります。
 
複数のジャンル、
ファッションなら、
ファッションだけでなく、
芸術の要素の足し算をしたり、
かけ算をすることで、
統合して一つの演目を作り上げる。
 
この過程に興味を持ったというところがあります。
 
 
建築という芸術ジャンルにも興味を持ってきましたが、
建築もまた
ある意味総合芸術的な要素があります。
 
建築の用途があったり、
自然との調和があったり、
中の人の動きや人の創作物があったりします。
 
そして、アートの要素があることにより、
人を惹きつけたり、
建築そのものが愛されるようになるという要素も持っていたりします。
 
以上のようなことから、
芸術を総合的に構築するということを見ていけるのではと思ったのが、
最近オペラを観はじめたきっかけにはなります。
 
でもこれは後付けの理由なのかもしれません。
実はもう一つ理由があるのですが、
それは編集後記で書きますね。
 
 
さて、今回の演目は、
“蝶々夫人”
 
なんとなく名前は聞いたことあるような気はしますが、
誰だろう?みたいな感じの方もいたかもしれません。
 
漫画の主人公?
歴史上の人物?
芸能人?
デヴィ夫人?
 
(笑)
 
いえいえそうではありませんで、
オペラのタイトルなんでございました。
 
しかし、歴史上の人物というのはある意味、あっていて、
初演がなんと1904年でございます。
 
 
もう115年もの間、
観られてきている歌劇、
オペラということになります。
 
 
この前の「ドン・ジョバンニ」は200年以上前に活躍したモーツァルトの作曲でしたから、
もっと古いのでしたが、
 
この”蝶々夫人”で面白いのは、
イタリア語で歌っているのだけど、
オペラだから歌うのは当たり前なのですが、
日本語が出てくるということなんです。
 
“TYOU TYOU SAN”って歌っているんです。
 
ん、ということは、
そうです。
 
このオペラの舞台は
日本。
 
 
そして、なぜか日本人とアメリカの国際恋愛、
ちょっと言い方が違うかな、
国際結婚を描いたものになります。
 
 
お〜100年前にね〜
 
とびっくりされた方もいるかもしれませんが、
ジャポニズムといって、
日本の文化が海外のヨーロッパ美術界に影響を与えていた時期が19世紀後半と言われていますから、
その流れで作られたと言って良さそうです。
 
確かフランスのモネも着物を着た西洋女性を描いていたそんな記憶があります。
 
 
ストーリーの方ですが、
簡単にいうと悲劇ですね。
 
 
でもまず、オペラにおける悲劇に在り方ですが、
日本の悲劇はどちらかっていうと浸るような悲劇、
 
まあこれは、
テレビドラマや映画といった要素からなりますが、
そういう作風が多いような気がします。
 
 
 
つまり、受け手が涙を流すためのドラマという感じですね。
 
最近改めて、まあ初めてでしたが見たセカチューなんかも、
その代表格かもしれません。
 
 
日本人は切なくなって涙を流す、
そんなことを心の汗をかくみたいに普通のこととして受け入れるような心を持っていると思います。
 
 
に対して、
観客の受け取り方を比較してみていくと悲劇の見方が違うんじゃないかと
思いました。
 
これは、
ドン・ジョバンニでも言えることなのですが、
人が消えたり、
亡くなったりしています。
 
 
悲劇に浸るというより、
これはやっちゃいけないというか、
こうなっちゃいけないみたいな究極のところを劇でみせ、
 
そうだ、そうだと決断して帰るみたいなそんなことをしているように見えるのです。
 
どういうことだと思うかもしれませんね。
 
 
蝶々夫人は、
ある意味、
切ない。
 
 
その部分を受け取るのではなく、
そうじゃない。
という自分たちの人生を受け入れている。
 
そんな風に歌劇を見ているのではないかということです。
 
ストーリーをまだお伝えしていないので、
いまいち伝わりきらないかもしれませんね。
 
 
蝶々夫人のストーリーの切なさは、
ずっと思い続けたアメリカの旦那が、
 
自分の子供をアメリカの妻に引き渡すこと、
自分一途でなかったことから一層引き立つストーリーになっています。
 
 
ある意味、
大戦の40年前くらいのストーリー。
 
 
その刹那さは、
どこか予言的になっているようにも感じはしました。
 
 
ただし、希望としてあるのは、
“蝶々夫人”のような人を作らないぞと心に誓った、
男子諸君達。
 
そして、これは比喩的ではありますが、
蝶々夫人とアメリカ旦那の子供の存在です。
 
 
子供は第2幕以降出てきますが、
歌うことはありません。
 
 
しかし、そこに未来がある。
 
 
この物語で語れなかった、
語りつくせなかった思いを次の子供が歌ってくれるだろう。
 
生きて体現してくれるだろうという、
国家を超えた未来をここに埋め込んだのではないだろうかと深読みしました。
 
作曲で入っているのは、
プッチーニ。
 
 
モーツァルト作品においては、
流れるような連続性で幕ごとには切れつつも、
音楽性としては、
華やいだような雰囲気や劇的な雰囲気を作り出しています。
 
プッチーニのこの作品の場合は、
どちらかというと間があるというか、
もちろん有名なアリアもありますが、
 
音楽が脇役に徹する時もあるし、
全体を支配しているというか、
音楽だけを聴かせて、
音楽で劇の進行を動かしているようなところもあったりします。
 
モーツァルトの場合は、
あくまで、
歌劇と並行的に常にパラレルに走らしているようなそんな感覚の違いもあります。
 
 
そして、
“蝶々夫人”において、
演出家が仕掛けたとんでもない、
 
プッと吹き出しそうになるくらい面白くもあり、
でもよく考えると深いなと思える演出があります。
 
 
それは衣装においてなので、
ある意味、
歌唱的な要素ではないのですが、
これだけはちょっと面白いので伝えさせてください。
 
すごく芸術的に衣装的にもなんとも言えない世界観を表現されているのですが、
これだけ見るとファッションショー以上なのですが、
主人公の蝶々夫人が正面ではなく、
背中側の衣装を見せるとどうしてもプッとなんてしまいます。
 
プッチーニだけに、
プッとなってしまう。
 
(笑)
 
すみません。
 
(笑)
 
で、なんて書いてあるかというと、
 
「幼虫」って書いてあるのです。
 
それはそれはでかい字で。
 
他に出てくる役者さん達もしっかりとした衣装を着ているんですが、
どこか変な感じもあって、
解説を見てはっきりわかりました。
 
 
今回の演出では、
昆虫世界をバックグラウンド的に使っていたようなのです。
 
 
例えば、衣装もそれぞれの時代の衣装を着させるとか、
今回のように、
昆虫世界の衣装にするとか、
 
既存のストーリーに新たな意味を与えるような演出に、
なるほどなと勉強になりました。
 
 
それと悲劇の愛の深読みには、
その昆虫世界ないしは、
「幼虫」がすごく効いています。
 
 
どういうことか。
 
 
この蝶々夫人は、
まだ、
「幼虫」だよと観客に告げているのです。
 
 
つまり、本当の蝶々として羽ばたかせるためには、
どうなったらいいかその場で考えてね。
 
ということが前提になって、
この歌劇を見せている。
 
 
そんな演出と意図が見えてきます。
 
 
ある意味、
泣いて泣いて、悲しいね、切ないねと
見る映画やドラマがどうも好きになれませんでしたが、
 
この見方ができるといいなと感心しました。
 
 
すごく感覚的な話にはなりますが、
「こうだよね」。と見るもの。
 
「その中でもさらにこうなったらいいよね」。と見るもの。
 
そういうコンテンツとの付き合い方が、
やはりいいかなと思ったのもあります。
 
さて、
これはこれで、
 
幼虫を授かったとも言える。
 
我々は、
幼虫にさらに餌を与え、
さなぎにし、
本当の蝶にかえしてあげなきゃいけない。
 
 
 
そんな課題的なものを与えられた気がしました。
 
 
あなたも、
そんな芸術を通して表現しなきゃいけないもの。
 
 
それを心の奥底に持つことで、
日々の仕事や家庭生活の支えにできるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
//////////編集後記//////////// 
 
今回は、
 
オペラを再び味わいながらの記事になりました。
雑談にはなりますが、
パリにあるオペラ座を建築的に実際に現地で見たことがあります。
 
残念ながら、
中に入って、
オペラを鑑賞する時間は持てなかったのですが、
ある意味芸術の館がパリという都市にキングのように鎮座している。
 
そんな印象を持ったのを覚えています。
 
折しも、近代建築の本を見ていたら、
パリのオペラ座の断面図のイラストが出てきました。
 
そこでわかったこと。
 
客席の空間スペースと同じくらいいやそれ以上の空間が、
劇場の舞台のさらに後ろに控えているという空間構成が見えてきたのです。
 
断面図というのは、
ある意味そういう丸裸以上にしてしまう威力がある図面ですね。
 
建築的な本質を観れたりします。
 
その意味としては、
少し教訓的に捉えられました。
 
つまり、魅せるためには、素晴らしいものを届けるためには、
人間的な奥行きや深さが求められるということ。
 
いわば人の人格に建築を投影したということ。
 
様々な垂れ幕が上下することで、
役者達は、
次から次へと舞台上の空間をワープすることができます。
 
人間性の器も同じようなところがあるなと。
 
様々なバックグラウンド(背景)を持つことで、
様々な人生上の場面を演じ分けることができる。
 
人生=舞台、演劇、オペラだ!
 
というわけです。
 
まあ、そんなことで今回も楽しく書くことできました。
 
さて、
冒頭のところで、
オペラを観はじめたもう一つの理由をお伝えすることになっていましたね。
 
それは、実は、第6感的に自分がオペラを作るというインスピレーションをそうだな。
3年前くらいに与えられたのがきっかけです。
 
起業などで、
事業のアイデアや実践ばかり追いかけてきましたが、
近年ようやくアートの大切さ、
右脳的なバランスが取れるようになってきて、
 
それで、
着想を現実化しようと動き始められたというわけです。
 
題材、モチーフはすでに決まっていて、
聖書の中のソロモンの歌という
王様が乙女に言い寄るも地元の羊飼いとの永遠の愛を誓うという
西洋世界においては鉄板とも言えるテーゼです。
 
プッチーニが日本をモチーフにオペラを作ったので、
逆に東洋から東洋の発信しようという実はただそれだけなのですが、
そういう意味では、
なぜか中東は、
アジアの一部だと思っていない人も多い。
 
そういうことで、
中東はアジアの端っこ。
 
聖書の話は、
アフリカの隅っこエジプトに一度行ってそこのモーセから記述が始まり、
中東に戻っていった。
 
そんなことがあるから、
中東問題とアジアの拡大は一体というところで…
 
 
話が長くなるので、
今日はこの辺にはなります。
 
 
「蝶々夫人」プッチーニ、TDK(2004)
 
 
そうそう。
 
やはり自分が魅せたいのは、
 
「こうだよね」。と見るもの。
 
「その中でもさらにこうなったらいいよね」。と見るもの。
 
理想形を見るようなものをかける人がやはりいないなというのが、
率直な感想。
 
映画にしても、
小説にしても、
 
どこかねじれている人が主人公だったり、
描かれている。
 
そうするとねじれた人ばっかり見ていると、
そんな人ばかりになってしまう。
 
教科書的な人は見たくないのは知っているけど、
個性がうまく出ていて、
幸福なものを表現するのがやっぱり社会ニーズとしては、
必要なんだけどな〜と。
 
 
 
SINYA OONO
 
 

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