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人の命を守る立場になったら:映画「フォックスと呼ばれた男」 を見て

昨日のアップのブログの通りなのだけれども、憲法の全面的な改正の流れの中から、大事なヒント要素を色々な観点で探している。

この映画も昨日のご紹介の映画と日を同じくしてみたのだけれども、こちらは陸軍だ。

零戦は海軍。

NHKの戦争を振り返るドキュメンタリー等をみても、海軍と陸軍という二つの大きな組織は日本の20世紀の戦争において違った発展を遂げてきたようである。

太平洋戦争時においては、ある意味象徴的な二つのこと。零戦での特攻。玉砕まで戦おうとする(戦争は既に終わっていたけれど情報が来ず)。

というような二つの映画だったかなと思う。

そこで、感じたこと。

今度サイパンに行ったら、このことを思い出すと思うけれど、竹野内豊、演じる大葉大尉がとある日本家屋で取り残された赤ちゃんに会う。

のちに島に残った日本の集落をいかに守るかについても判断を下すことになるその伏線がそこにあるのだが、ある意味、小さな日本がそこにはあったということを思った。

新しい命やこれから生きようとする人々のことを思ったときに人が何をできるかを考えて死んでいった人々がいる。それがたとえ思い違いだったとしても、何かを今現代に生きる私たちも考えなくてはいけないなと思った。

祖父は亡くなって10年以上になるが、満州で旗を振っていたといっていたから陸軍だっただろう。小学生ぐらいまでの中で、あまり直接的に戦争の話を聞くことはなかった。

ネギが嫌いで、塹壕でのネギの入った味噌汁を他の戦闘員に譲ったというような笑い話は聞いたことがある。

そんな中でも、いつも散歩で引っ張るロッキーと私が命名した雑種の犬と散歩を一緒にしたとき、祖父が手綱を引くと全く引っ張らず、ゆっくりと私たちのあゆみに合わせたものだ。

当時の私としても何か、精神力のようなもの。そんなものを感じた。それは今も残っている。

日本が、アジア並びに、イギリス、アメリカ、ソ連、中国など世界の多くの国に対して何をしようとしたのか、何をしたのかそれを全てを知ることもできないが、何か確実に引き継がれているもの、継承されていくものは必ずあるのではないか、あったのではないかと思ってしまう。

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