日本の歴史を振り返ると縄文やその前が相対的には最も長く影響が多いと言えるのかもしれません。
弥生的な文化以降、農耕社会が生まれ管理型の国家形成に繋がったとされています。
近代、現代に絞って考えると、もう少し前も含めて天皇が直接的に政治をするという形からはもう何百年も離れていた。
その中で、武力と実権が最も皇室や天皇の近くにやってきた時代が昭和という時代になるかと思います。
ただ、地元の長野県の八面大王ではないけれども現在の天皇家の体制ができるまでの征服の歴史が日本の歴史の神話として残っているという古代の話がないわけではない。
その神話の部分がきっとこの昭和だけでは明治、大正の部分で出てしまったのかなとも思うわけです。
制度としての統帥権や皇族方が海軍や陸軍の要職についていたという時点で、異例の状況下であったということだとは思うのですが、今は現在自制に戻って、今何を振り返り何をどうすべきかという観点に戻していこうと思います。
歴史の考察や過去の資料の分析については当然プロではないので、色々な資料や本が出てくることもあるかと思います。
しかし、今は戦後80年ということで一つの世代が終わっていく時代に入っていきます。ここで、必ず忘却が始まり、本当に過去の見直しができたのかという宿題の積み残しができていないかどうかという点が問われるわけです。
ここ数日で見てきた映画もそうでした。
その中で、官軍と賊軍という考え方も海軍や陸軍の軍閥に影響を与えていたという見方があります。
いずれにしても、統帥権の問題にしても、皇族方の軍の要職の問題にしても、少し時代が遡って明治維新時の官軍賊軍の話にしても、日本の国と象徴的な部分と実験的な部分が切り離されていたにせよ、利用された問題と捉えることができると思っています。
つまり、何をしたらいいかというと皇族や天皇制という制度が、国益に正しく利用されるようにしなければいけないということです。
そのためにできることは、政治との切り離しです。現行の憲法でも、法律が天皇をいまだに通って出ていきます。
これは必要ないと考えます。
東京にいなくても良い。京都に帰ってもいい。
ただ文化の部分と外交や国民との触れ合いの時間を増やしてほしい。そんなことを考えています。
現行憲法の大幅改正により天皇に関する部分は全て消えます。
国民が自分たちで考えた国家観を記述した新憲法がようやく完成します。
そういうシナリオです。
例えば、文化という意味では、全国に貴族のような邸宅を作り、その利用を国民的に開放する。
天皇家や皇族方はシンプルに文化人の立場になり、政治的利用は全くできなくなります。
それが、明治からいや、もう少し前の時代からかもしれないけれども、時代のケジメかなと思っています。