サッチ・ア・ワンダーフル・ワールド! 〜この素晴らしき世界で〜

 
Jazzy Days!
 
発行者のSINYA OONOです。
 
今日は、
Jazz界の有名人。
 
Jazzネタの延長でもありますが、
ルイ・アームストロングさんを取り上げたいと思います。
 
トランペットを吹く、
ハスキーボイスの黒人の面白い雰囲気のおじさんといえば、
何と無くイメージできると思います。
 
 
日本でいったら、
誰でも知っている歌手で例えれば、
北島三郎さんだと言えるでしょう。
 
大きな目と鼻。
 
愛嬌のある顔という意味ですが、
笑顔になり、
愛されるキャラそんな共通点があったりします。
 
個人的な主観ではありますが…
 
 
さて、
 
興味深いエピソードを見ていきましょう。
しかしそこには、成功の光と影がありました。
 
彼は、まず生い立ちですが、
いわゆる彼は、
son of bitch.
 
英語でいう汚い言葉の代表格なのですが、
文字通りに彼は、
son of bitchなのです。
 
つまり売春婦の子供ということから、
彼の人生は始まるのです。
 
 
彼の知っていたワンダーフルワールドは、
どんなワンダーフルワールドだったのか。
 
そんなことを考えずには入られません。
 
 
そして、
ある意味そんな彼は時代の波に乗り、
Jazzという音楽の潮流にも乗り、
世界的なミュージシャンとしての名声や富を得ることにもなりました。
 
 
その道のりの中で、
キーになった出来事は何なのでしょうか。
 
まずは、
もちろん、
母親が売春婦をしていたという環境でしょう。
 
そして、
近所の白人の家で養われたりしながらも、
彼の生まれた場所がよかった。
 
それは、音楽の首都ともいえる
ニュー・オリーンズだったのです。
 
 
個人的な話にはなりますが、
セクシャリティというものは、
かなりエネルギーの源であるということも彼の成功例は、
裏ずけているともいえます。
 
ただし、
正しいコントロールが必要で、
彼自身もその人生を通してそのテーマとかなり向き合っていたことと思います。
 
 
それゆえに、
彼のバイブレーション、
音の響き、
独特のリズム。
 
そのような彼独自のオリジナリティが生まれたともいうことができそうです。
 
 
当時のローマ法王が、
カトリック教会の総本山のトップがなんと
ルイ・アームストロングのファンだったということで、
 
その他のおそらく枢機卿たちとあっているようです。
 
その時のエピソードはなかなか最高です。
 
ローマ法王
「お子さんはいらっしゃるんですか?」
 
ルイ・アームストロング
「子作り活動には精を出しているのですが…」
 
とのコメントして、
しばらく沈黙が走った後、
大爆笑を引き出したというお話が伝わってきています。
 
 
女の人から生まれてこなかった人はいませんし、
セックスしないで、
生まれてきた人は当時はまだいなかったでしょう。
 
 
今はセックスせずに、
子供ができてしまうという
体外受精などがあり、
これはこれで倫理的なこともあるとは思います。
 
ただその論議は今日は本意ではないので、
割愛しますね。
 
でもやはり、
セックスのテーマは、
成功哲学的にみても大切なテーマであることは、
 
以前の
 
GOOD NEWS!! 第3号 成功したければ、”ゴリラ”と”チンパンジー”のボス猿に学べ!
GOOD NEWS!! 第8号 歌劇 “ドン・ジョバンニ” に学ぶ恋愛経済学
 
などの記事でも取り上げてきました。
 
そう見ると、
 
サッチモは、
大したゴリラ野郎にも見えてきます。(笑)
 
 
いや、すごく褒めている。
尊敬しているという意味でです。よ。
 
 
さて、尊敬という意味では、その独自のトランペット奏法、
そして、歌を変えたとも言われるその歌声を通しても
音楽界に偉大なとも呼べるレガシーを残した彼でしたが、
世の中や社会の影響を受けたり、
感じたりしていたこともあるようです。
 
芸術家が芸術だけやっているのではなくて、
音楽家が音楽だけやっているのではなくて、
 
やはり当時のその生きている様々な状況や人々から影響を受けるものであることも、
理解できます。
 
 
その上で、
指針となるものを残すということは、
やはり歴史を超越するというようなことを考えていくと
 
今だから、
今の時代だからできることをやると同時に、
普遍的な参照できるものを残したい、
 
そんな成長欲求や自己達成欲求も見えてくるかと思います。
 
 
メンターの存在。
 
これは成功に役立つとも言われることがあります。
 
守破離と言われるように、
メンターを念頭に置いておくことで、
メンターのいるところまでは、
ベンチマークされていて、
そこまでは、
到達しやすくなる。
 
そのあとは、
自分の要素を持ちながら、
徐々に離れていく。
 
サッチモもニューオリンズで、
自分の才能を見込んでくれていた人を
メンターとしていたと言われています。
 
 
18歳で、
シカゴに移動しバンドライフをスタートして、
自分でも音楽のキャリアをスタートしますが、
 
本人も、
 
「子供の頃の夢が叶った」と言っているように、
メンターのバンド人入ることになり、
 
その成果もあり、
彼は自分の才能を開花させることになります。
 
18歳の頃初めての結婚を経験。
どこかもの寂しいラブソングが多いのは、
この初婚の影響があると専門家は言いますが、
 
生い立ちそのものが、
男女の愛の寂しさの部分を知っているサッチモならではの人生観を作り出したからこそ
とも言えると思います。
 
18歳の初めてのバンドでは、
楽譜を読むなどの基本的なこともそこで学んだと言われます。
 
ある意味、
音楽の世界では遅咲きとも言えるかもしれませんが、
この事実も案外参考になるところもあるのではないでしょうか。
 
音楽教育に、
遅い、早いはないと。
 
 
さて、では初めて音楽、ないしトランペットに出会ったのは、
いつだったのでしょうか。
 
13歳頃だったでしょうか?
 
彼は、刑務所に、いや少年院にいました。
 
それは、
お祭り騒ぎに拳銃を天に空発していたという理由でした。
前科もあったと言われていましたので、
それだけではなかったのかもしれませんが、
その少年院での生活で、
音楽に出会うことになります。
 
トランペットは、
彼に表現の自由を与えたのでしょう。
 
そして、
サッチモはその少年院を出た後も
「ここが落ち着くんだ」と
昼寝に訪れたと言います。
 
そこが監獄だとしても。
 
彼がそこで、
いわばどのように人生を更生する、そして構成することを
いわば神様に教わったかを思いがたるようなエピソードです。
 
エルビス・プレスリーというアメリカの有名なポップ歌手にも、
「監獄ロック」なんていう曲がありますが、
社会の底辺、
社会から見捨てられているような人たちにも希望を与え、
生きる喜びと世界が素晴らしいことを知ってほしい。
 
そんな音楽の力や国境も人種も超える力も見えてきます。
 
ヒットし始めた後、
ギャングの抗争に悩まされるサッチモ。
 
2年間亡命生活のように活動をヨーロッパで行なっています。
 
しかし、興味深いのは、そこからまた助け舟が出るところ、
生涯のパートナーとして、
マネージャーとしてサッチモを支えたのは、
ギャングから足を洗った一人の白人男性でした。
 
「彼がいなかったら、
 音楽を続けることも、
 もしかすら生きていることもなかったかもしれない」
 
というような発言を残しており、
やはりパートナーの存在、
信頼できるサポートキャストの大切さもここで認識できますね。
 
ひとつ残念だったのは…
 
ガーナにいって
まだまだある意味黒人の同胞とも言える
彼らが社会的な辛い状況にあることを目にします。
 
そして、それは演奏中押し寄せる群衆の中に
暴行をされるような人が見えるという
状況だったのです。
 
社会的な意義や義務をそこで彼は有名になった後の自分が
何をしていくべきか
考えることになったようです。
 
それは、ある流れの中で、
ソビエト連邦への音楽遠征をそうした抗議のために
キャンセルしたという出来事のこと。
 
 
音楽の力とエネルギーを信じていたはずのサッチモだからこそ、
そのような現実を見たとしても
音楽旅行を続け、
自分の世界観を通して欲しかったそんな気がします。
 
比較するようではありますが、
ル・コルビュジェというフランスの有名な建築家がいますが、
彼の場合は、
戦争下でありながら、
戦争中の両陣営側の仕事を受けこなそうとしていたと言われていました。
 
ある意味、
「戦争なんて関係ねぇ。国なんて関係ねぇ」。
 
と言えてしまうようなものすごいバイタリティの持ち主だったのかなと思いました。
 
だからサッチモはやはり、
センシティブで、
繊細な男だったのでしょう。
 
だけれども、
笑顔を引き出すことができたし、
笑顔で生きることを信じていた。
 
そんなポジティブで、
チューリップやひまわりのような
「太陽に向け」というような精神が人々に勇気や情熱を与え、
人々の心を動かしたのではないかなと思います。
 
 
いわゆる成功者は、
「人を動かす」ことができると言います。
 
有名なデール・カーネギーの自己啓発書のタイトルにもなっているくらい、
「人を動かす」ことは、
人生に置いて重要な意味を持っています。
 
しかし、英語的な表現として忘れてはいけないのは、
人を文字通り、コントロールする、何かをやってもらうという意味の「動かす」だけではなく、
英語本来の「MOVE」の動詞の意味をまず含んでいることを忘れないようにしたいものです。
 
その「MOVE」の意味とは、
「人の心を打つ!」「人の心を動かす」という部分です。
 
英語には、動かすというその動詞に物理的に動かすことと心理的に動かすこと両方が含まれているのです。
 
もちろん、英語のタイトルはinfluenceという言葉が使われているので、
ここでは私の方便であるとも言えますが(笑)
 
ただそこに収められているのは、
やはり人の心に訴え、心から動きたくなるようなことをするための原則です。
 
ちなみに英語のタイトルを全て書き出すと、
“HOW TO WIN FRIENDS AND INFLUENCE PEOPLE”
 
友達づくりの本。
友達を勝ち得る方法。
ある意味人脈作りの本という部分が隠されています。
 
 
サッチモの話に戻りましょう。
 
 
お金の原則というか、
彼の生涯の経済的な感覚についてのエピソードがひとつ語られていました。
 
それは、
親友が二人で会話をしていた時のこと、
 
冷蔵庫を開き彼は、
「いつでも卵が6個入っているなんて素晴らしい」っていうんです。
 
 
「そして、すごく遠くまで来てしまった」って。
 
この時彼は、
すでに大成功者。
 
映画に出ても、
最高クラスのギャラをもらっていたと言います。
 
そんな彼でも、
ベンチマークできる経済感覚は、
冷蔵庫に卵が入っていることが嬉しいと思える経済感覚そして生きる歓び
ということもできましょう。
 
 
初期のファイブ、セブンのバンドづくりや
ビッグバンドそしてまたスモールバンドへ。
 
 
トランペットだけでなく、
歌手へとJazzのある意味
伝道師になっていたサッチモは、
 
クラシック・ミュージックの世界からも一目置かれていることもわかります。
レナード・バーンスタインという有名な指揮者がいますが、
彼の音楽性の深い理解ということもあるかもしれませんが、
Jazzそのものについても、
解説した音源を残しています。
 
そこでもやはり、
サッチモの音源を参照しています。
 
ある意味、まだまだ人種差別的な要素があった時代。
 
サッチモの曲にもあるような、
high society、
上流社会というものが意識されている中での
画期的なことであったということが描き出されていました。
 
 
社会は移りゆき、
キング牧師や
彼に憧れた黒人初の大統領が生まれたりしたにせよ、
 
黒人の女性の管理職は、
アメリカ大企業ではまだまだ少数派と言います。
 
 
でも、ゆっくり人々は学び、人々は知り、人々は変わっていくのでしょう。
 
それは、
アメリカでなぜリンカーンが偉大とされ続けているかからも理解できると思います。
 
さて、
ここまで、
サッチモ・ストーリーをベースにお届けしてきましたが、
いかがだったでしょうか?
 
私たちが生きているのは、
日本。
 
あまり遠い人と思えるでしょうか。
 
それは取り方は人それぞれ、
私にとっては、
顔も似ているせいか
私の父親のキャラクターとダブります。
 
ずっと音楽好きでしたし、
ここ最近は、
リコーダーを吹いています。
 
こうした人種を超えた先輩から父性を感じたり、
母性を感じたり、
 
「あゝ、世界はひとつなんだな」
と思えるような経験をたくさんできるといいのではと思っています。
 
 
そして、芸術の世界は人を癒す力があり、人を元気にする力がある。
 
アーティストがやっていることは、
誰かを喜ばせること、
誰かを楽しませること、
が前提にはありますが、
 
実は、根源的には、自分を癒し、自分を楽しませる
そんな側面があることも教えてくれると思います。
 
折しも、昨日見た新聞に
タンザニアだったかな
人が市場にいる様子を抽象的に模して描いた絵を
名古屋の方で展覧できるようにしている
黒人作家の方をお見かけしました。
 
なので、
何かを情熱を持ってやっていることで、
自分の中にあるもの、
社会にあるものが、
溶け出して、
柔らかくなっていく。
 
そして流れ出すような、
そんなことがあるなと思います。
 
それは自分という鉱脈から、
原石を精錬して、
純粋にしていく過程。
 
情熱という火が、
あなたをそして私たちをピュアに、
人の心を打つ人に打ち変えていくのだなと。
 
そして、それは聖火のようなもの
情熱やセクシャリティのエネルギーは人に灯された火、炎のようなもの
 
大切に燃やし続けることは、
オリンピックがやってくる日本にとって
思い出すひとつのチャンス(機会)になるかもしれませんね。
 
 
//////////編集後記//////////// 
 
「ワンダフル・ワールド:ルイ・アームストロング ストーリー」ナウオンメディア株式会社(1999)
 
「人を動かす[新装版]」デール・カーネギー、創元社(1999)
 
オリンピックといえば、
国立競技場が9割完成し、
報道陣に公開されたようですね。
 
新聞やテレビでご覧になった方も多いかもしれませんね。
 
ザハの案が流れたり、
色々とありましたが、
 
「ここまでこれてよかったね」
と関係者のご苦労をねぎらいたくなる気持ちになりました。
 
特に、ザハ・ハディドさんがお亡くなりになったことなどもありましたし、
安藤さんがコンペの委員長を務められたりとか、
その後のゼネコン各社がその先駆的なデザインの実現の見積もりのために試行錯誤を繰り返したりと、
色々あったかもしれません。
 
建物をそのまま改修して使う案もありました…
 
そして、
時代は前に進むのです。
 
さぁ、今日も頑張ろう!
 
 
SINYA OONO
 
 
 

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