幸福なお金持ちになる究極の教え

 
My!
 
発行者のSINYA OONOです。
 
今日は、
「幸福」というテーマで考えていこうかと思います。
 
そもそも、
人生で求めている状態として、
 
全ての人は「幸福」を求めているということに、
あまり異論を問う人はいないのではないかと思います。
 
幸せである、ハッピーであるということには、
実は法則があるということを知っていましたか?
 
 
今日はその法則と幸福や幸せに関わるお金の話にも触れていきたいと思います。
 
それでははじめていきましょう。
 
 
 
よく、
 
「ラッキー!」とか、
 
「ツイテる!」なんて言ったりしますね。
 
 
これは、どうでしょう。
 
 
幸運という言葉もありますね。
 
 
luckyは英語の言葉。
「運がよい、幸運な、ついている」などと訳されています。
 
「〜に恵まれて運がいい」という風にも使ったりされていますね。
この場合は、人が「運がよい、幸運な、ついている」ということですね。
 
それからものやことに形容されることもあります。
 
それには、
「たまたまうまくいった、まぐれ当たりの〇〇」
「幸運の、幸運をもたらす、縁起のよい〇〇」といった意味もありますね。
 
 
さて、
自分は、
 
「運がよい、幸運な、ついている」と思いますか。
 
YES! or NO?
 
自分にとって幸運、幸せを運んでくれるものは、なんでしょうか?
 
誰かが決めるわけではなく、
自分で感じること、
考えることが幸せを作り出しているといったら、
どう思いますか。
 
そして、自分のしていることですね。
 
それが全て、
幸せにつながっているというお話です。
 
 
納得できるお話でしょうか?
 
 
先日は、
人生で受けるべきものは、
すでに受けている。
 
あとは与えるために、
自分の人生をいかに使うだけだ。
 
 
というような趣旨のお話をしましたが、
どう思われたでしょうか。
 
 
与えることが幸せなことで、
受けることよりもそれはより深い幸せになるということが、
その底辺にある考え方です。
 
 
そして、
お金の枠組みは、
 
たくさん与えることを愛した人に、
 
すでに与えた人に、
なんらかの形で戻ってくる報酬の一つに過ぎないというようなお話も出てきました。
 
 
ちなみに、英語でthe Lucky Countryというと、
ラッキーな国というと
オーストラリアのことを言うというお話があります。
 
自分たちの国のことを豊かで、
幸せな国だと思っている人が多ければ、
多ければ実際にそうなっていく。
 
そんな気がします。
 
現状は、
 
その元になる思考から出る
発せられた言葉や行動、振る舞いがそれを形作っているということができると思います。
 
では、
あなたの思考はなんでしょうか。
 
 
どのようにそれは言葉や行動や振る舞いになるのでしょうか。
 
 
その答えを探す前に、
長寿について考えてみましょう。
 
 
親鸞という仏教における有名な人がいます。
 
 
人生70年、80年などと言われてきましたが、
長生きした人が、
幸せかどうか考えてみましょう。
 
今幸せでない人が、
これがあと10年、20年、30年、50年と続いていくと考えると
長寿は幸せではないと思うことでしょう。
 
逆に今幸せな人は、
これがあと10年、20年、30年、50年と続いていくと考えると
長寿は間違いなく幸せでであると思うことでしょう。
 
はたまた、それが永遠に続いて欲しいと願うことでしょう。
 
つまり、
 
結論は、
 
「今」幸せになる方法を見つけ、
「今」幸せになることを始め、
「今」幸せになることように人を助けること。
 
これが真の長寿の幸せではないかなとおしなべて考えると思えるわけです。
 
 
なぜ、親鸞をあげたかというと、
親鸞が長生きだったからです。
 
生きた年は、
1173-1262。
 
1192作ろうは、
変わったでしたかね。
鎌倉幕府が作られた頃から人生がスタートしていることがわかるかと思います。
 
(1985が今の歴史的理解のようです)
 
生きた年数は、
91年ということになりますね。
 
大した長寿です。
 
では彼がやったことは、
何か。
 
専門的な人はもっと詳しいとは思いますが、
簡単にいうと、
 
「晩年まで、
書物をかき、手紙を書き、筆写をし、人々に語ってきかせる」など
していたと言います。
 
このお話は、
五木寛之さんの「新・幸福論」からお聞きした話です。
 
親鸞の書いた本の中には、
「教行信証」という本があるといいます。
 
浄土教の教えを教・行・信・証・真仏土・化身土の六巻で著したものということです。
 
まず理解しておける二つの概念は、
自力と他力。
 
自分で悟りを開くのか、
仏や菩薩の力を借りるのかという大きな概念があるようです。
 
親鸞の立ち位置は絶対的他力。
 
でもこれだけ色々書き著しているのですから、
どのように頼るのかという意味ではあれやこれがあるのでしょう。
 
それだけ、
頼りながら、
何を求めていたかというなれば、
 
いわゆる極楽浄土、
 
全く苦しみのない理想郷で、
そこではん阿弥陀仏が方を今も説いているところとされています。
 
これがある意味、
精神的な自由や安堵の地だとするならば、
 
 
そのような状態をいかに多くの人々に送れるのか、
それに生涯の晩年まで、
追求をし、
道を求めていた。
 
そんな親鸞の姿が想像できます。
 
何が言えるか。
 
それは、長寿における幸せにしても、
それが続く「今」の幸せにしても、
 
“勤勉で、目標に向かって努力すること、生涯現役であること、
地域社会と意味のあるつながりを持ち続けること”
 
こんな姿がイメージできます。
 
 
これは、
五木さんも引用されていますが、
ハワード・S・フリードマンとレスリー・R・マーティンの「長寿と性格」という本に
そのことが、書かれているそうです。
 
 
さて、少し話を戻しましょう。
 
「ツイテる」という言葉があります。
これは「付く」という言葉が元になっていますね。
 
この「付く」とは、「そばに寄る」とか、「近ずく」という概念ですね。
 
「あるものが現れる・来る」とか、
それが転じて、「魔性のもの」だったり「運」がそうなるという意味になっていますね。
 
つまり、「ツイテる」という言葉は、
ちょっとしたスピリチュアルな言葉だったりするのかなと思うわけです。
 
では「運」とはなんでしょうか?
 
「人知では計り知れない身の上の成り行き」や「幸せなめぐりあわせ」と
説明されています。
 
 
つまり、「ツイテる」という言葉には、
 
「人知では計り知れない身の上の成り行き」にビックリしているような気持ち。
「人知では計り知れない」力を意識しているようなことを言葉で表すもの。
 
そして、
「幸せなめぐりあわせ」に対する感謝ですね。
 
そのようなものを伝えている言葉だということがわかってきます。
 
つまり、ここまで幸福や幸せというものを考えてくると、
それは宗教的なもの精神的なものとなんらかのつながりがあることに何となく気づいているのではないかと思います。
 
 
ここで、〇〇教という特定の宗教について論じているのではなく、
あなたが普段から使っている言葉の中にも、
精神的なもの、
 
そしてその目標設定を勤勉に生涯をかけて追い求めていること、
が幸福につながる要素があることが見えてくるんじゃないかなと思ってきたわけです。
 
 
そもそもの仏陀にしても、
80歳まで生きていますね。
 
やはり求道者は、
長寿であり、
理想を求め続けるからこそ、
人生の道が長くなるのかなと思ったりもします。
 
 
 
では、思考と言葉、行動、振る舞いについて幸福論ともう少し深めていきましょう。
 
 
法則をお伝えするということを忘れていました。
というのも、
さらっともう触れてしまったので、
 
「あっその書き方だと触れないで終わったとも読めてしまうかも」と思ったので、
もう一度ちゃんと取り上げます。
 
 
それは、例のアレです。
 
 
 
それは与えるという法則です。
 
与えたものが返ってくるという法則です。
 
 
これは、
ある意味
幸福の種をまくということの話につながります。
 
 
蒔いた種を刈り取るならば、
なるべく幸福な種を蒔きたい。
 
 
ある家族がいて、
幸福なお父さんがいて、
 
幸福を持っていて、
幸福だと思っている。
 
その人は事業を起こそうとしている。
 
つまり、その人がやりたいことは、
幸福の拡散だ。
 
ここにある意味、格言めいたものが生まれました。
 
「事業とは幸福の拡散だ。であるべきだ」。
 
逆を考えるとすごくわかりやすい。
不幸を拡散しようとすると、
それは喜ばれない。
 
何かいい商品にしても、
サービスにしても、
それは幸福を配ること。
 
そういう意味では、
大実業家は、
幸福の専門家であり、
幸福エネルギーの塊のような人ではないか。
 
逆にそのような人であり続けることができることで、
全ては幸福の連鎖に資するのではないか。
 
 
そんな風に考えることができます。
 
 
幸福の品格というか、
人生の幸福試験に合格した人が、
次々と人々に幸福を配ることに成功する。
 
これが、実は、いわゆる成功者なのかなということも見えてきます。
 
 
逆にいうなら、
その試験とは、
幸福そうに見えない状況としてあるのかなと。
 
 
ちょっと前の号で、
 
GOOD NEWS!! 第15号 サッチ・ア・ワンダーフル・ワールド! 〜この素晴らしき世界で〜
 
で、
 
サッチモこと
ルイ・アームストロングさんを取り上げましたが、
 
彼もまた、
境遇ゆえに、
小さな幸せを見つけることができるようになった人。
 
それゆえに、
 
「この素晴らしき世界」が一番世界でも聴かれているのではないかなと思います。
 
そして、
人生で受けるべきものは、
すでに受けている。
 
あとは与えるために、
自分の人生をいかに使うだけだ。
 
ということに真に気づき待つことを辞め、
 
どんな状況でも、
積極的に自ら行動を起こし、
ポジティブで成長していると常に思えるようになる存在になること。
 
 
これがまず、
第一段階として
到達したいことかもしれない。
 
そして、
勤勉に目標を達成するために努力をし続けられることを持ち、
その理想を達成するために、
他の人を助け続けること。
 
そんな第二段階が見えてきます。
 
 
こんな思考習慣、行動習慣に入れた人は、
どんどんと幸福のさらなる真髄を突き詰めていく
 
自分にとっての”幸福道”を
追い求めていくことができるのではないかと思いますね。
 
 
 
//////////編集後記//////////// 
 
今回は幸福について考えてきました。
 
いつになく宗教的な感じにはなりましたが、
宗教というものは、
何かをつなぐものという概念があるようです。
 
そう考えると、
あなたと幸福をつなぐものはなんでも宗教になりうる。
 
宗教という概念そのものが、
媒体のような思考だったり、
思想だけでなく、
もっと身近なものに思えてくる。
 
そんな風に捉えることもできるかなと思います。
 
さて、
「新・幸福論ー青い鳥の去ったあとー」五木寛之、ポプラ社(2012)
 
 
幸福論だけれども、
消極論が入っている。
 
ここがすごく面白いなと思いました。
 
悲観論と消極論から始まる幸福論。
 
これが五木さんの言っていた新しさなのかはわかりませんが、
私は新しさをそこに感じました。
 
僕自身は、ポジテイブ論者、信者のようなところがあるので、
飲み込みながら、
消化することで一回り大きくなれたようなそんな気がしました。
 
興味のある方は是非読んでみると良いと思います。
 
個人的にすごく刺さったのは、
金子みすゞさんのお話。
 
人間の大漁の喜びは、
魚の大量の葬いだということを書いた詩にまつわる論の展開。
 
人間の感性の豊かさを改めて感じると同時に、
ある意味、
人の立場だけじゃない生命体とも繋がれる特殊能力、
 
そして、
地球全体として繁栄するという意味では、
より今日的なサステイナブルな持続可能な社会に対しては、
必要な感性だなとも思いますね。
 
明日以降は、
YouTubeと連動したような内容をさらにお伝えしようかと思います。
 
今やっているのは、
 
  • しわあせなお金持ちづくり、
  • 新しい事業の企画・計画づくり、
  • SDGsなどの国際的な理想的目標や枠組みづくり、
  • 個人や企業のブランディング、PR、マーケティングづくり
 
そんなテーマをやっています。
本も今年に入って、
5冊ほど書きました。
 
何が出てくるかは、
その日になって決まったりすることもありますが、
どうぞ引き続きお楽しみに!
 
P.S. もう一つ参考書籍ありましね。
 
こちら。
 
「長寿と性格」ハワード・S・フリードマン レスリー・R・マーティン、清流出版 (2012)
 
P.S.2 そういえば、何か照査して、記事にしてほしいものがあったら是非お寄せください!
 
SINYA OONO
 
 

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