昔々、いや、昔から馬と人間はとても特別な関係を築いてきた。
人は、馬力と言って馬の力を一つの単位にしたし、移動の手段としても馬に頼ってきた。時にそれは戦いのための備えでもあり、人々が農業や行商を行うのを助けてきた。
その中でも、馬を育てる人々、良い馬を育てる人たちがいた。
彼らは、色々な馬をみてきたが、逆にその馬を育てるプロに教えを乞う人たちもいた。
そう、どんな馬がよく走り、自分が得をすることができるかに興味があったのだ。
馬の育成のプロは自分が好む人たちには、駄馬を見分けるコツを伝え、自分が好まない人たちには良馬を見分けるコツを伝えた。
なぜ、一方に、伯楽は駄馬を見分けるコツを教え、良馬を見分けるコツを教えなかったか。
なぜ、一方に、伯楽は良馬を見分けるコツを教え、駄馬を教えるコツを教えなかったのか。
そう思ったかもしれない。
ここで一思案。
とてもシンプルに考えたら、すぐに理解できるかもしれない。
なぜ駄馬を見分けるコツの方が価値が高いのか
まず、人生でどちらの馬に会うことの方が多いかというシンプルな事実。
駄馬か、良馬か。
良馬は、確かに少ない。
だからこそ良馬である。
ということは、どちらのコツ、どちらのノウハウを使うときの方が多いか。
それは、もはや明らかだろう。
駄馬の方が人生では多く出会い、駄馬を見分けるコツ、ノウハウを使う方が人生で多いということだ。
なので、これは言わずもがなだけれども、あえて表現するならばよく使うコツ(駄馬を見分けるコツ)の方が、ノウハウの価値として高いということになる。
なるほど、なぜ、そのノウハウが価値があるかは少しはわかった。
ではその駄馬を見分けるコツをどう使うのだ、と思うかもしれない。
駄馬を見分けるコツが役に立つ理由
では、実際に駄馬に該当する項目を5つ伯楽から教わったとしよう。
次に、馬を選ぶ時、次に新しい馬に出会った時にあなたがすることはなんだろう。
その馬が、その5つの項目を持っているか、いないかを確かめることになる。
もちろん、駄馬の条件5つを網羅している馬をあなたが選ぶことはないだろう。
でも、1つ、2ついや3つだったらどうだろう。
こういう時は、その時の自分の状況がヒントをくれることになる。
どうしても一つ選ばなければいけないなら、なるべく駄馬の条件を満たしていない馬を選べば良い。
もし、新しい馬が必要でなければ、一つでもその条件に当てはまるなら馬を選ぶことないだろう。
仮に、すべての駄馬の条件を満たしていない馬に出会ったらならあなたは、その馬を手元に置きたいと思うかもしれない。
伯楽は、良馬を見分けるコツを教えてくれなかったので、それが良馬の条件を満たしているかどうかはわからない。
それを知るのは、もう少し後のことになる。
知っているのはそれは駄馬ではないということ。駄馬を選ぶことからは回避することができたのだ。
良馬を見分けるコツが役に立たない理由
では仮に、あなたが良馬を見分けるコツを5つ教わっていたとしよう。
同じように、次の機会に新しい馬や馬たちに出会い、それらをあなたは見分けようとする。
一生懸命、たくさんの馬の中から、優れた馬の条件に合う馬をあなたは探すのだ。
恐らく、よっぽどの幸運がない限り、優れた馬に出会うことができない。
先ほども考えたように、良馬の条件を満たす馬は数が少ないのである。
こうして、少し考えると良馬を見分けるコツというのはなかなか使い勝手の悪いノウハウだったのだ。
もしかすると、良馬の条件が同じように5つあって、一つでも当てはまるなら、良馬かもしれないとあなたは思うかもしれない。
ところが、駄馬の条件と違い、良馬の場合は5つを全て満たさないと駄馬でない保証が得られない。もしかすると全て満たしてもその保証はないかもしれない。
良馬だと思っても、思いがけない欠点に駄馬であることもあるのである。
さて、この駄馬と良馬の話であるが、中国の故事の中から引っ張ってきたので、ご存知の方もいたかもしれない。
ただ、もう少し考えていこう。
名伯楽の話を人間関係にどう生かすか
まずは、社会においてだ。馬というのは、人に使役されていたものである。今の社会では雇用ということがそこには存在する。
どんな上下関係的な関係においても、どんな人でも、誰かの用を満たす、使われる、使うという関係が存在する。
一番シンプルに考えれば、会社の雇用者と被雇用者だし、上司と部下の関係もそうかもしれない。さらには、依頼主と発注先。
社会にはたくさんある関係である。
もしかすると、身近な夫婦でさえ、夫として使う、妻として使うという側面があることは否めない。
使う?なんという表現を!と思うかもしれない。
僕は本来理想論者なのであまり理想的でない言葉を使うことを憚ってきたけれども、現実に向き合わないまま人生の終わりを迎えることもそれはそれで辛いことである。
恐れず時には現実的な部分に向き合おう。
さて、少し横道に逸れたが、どのようにこの駄馬を見分けるコツの方が実際的で価値が高いノウハウであるという事実を生かせるだろうか。
後半戦はその部分を考えていこう。
使う側のロジック
まずは、使う側の観点から。
基本的には、自分が選ぶのに必要なダメな要素を見つけるのが大切ということになる。
つまり、例えば、会社の雇用者側であれば、自分の会社にいてはダメな人の要素を挙げるのである。
自分が会社の雇用者であり、社長だったりして、会社のことをわかっていればいるほど、名伯楽にわざわざ駄馬の見分け方を聞く必要は全くない。
なぜなら、自分の会社の状況を一番よく知っているのは、その雇用者自身だからである。
やってはいけないのは、自分の会社にいたらいいだろう人の要素を上げること。
これは、名伯楽に良馬を見分けるコツを聴いた人に相当する。
自分が自分で混乱するだけである。
あの人もいいかもしれない。この人もいいかもしれない。でも、100%いいと思う人はどんなに探しても見つからない。
こんな状況に陥ってしまう。
伯楽からコツを聴くために、わざわざ誰かに話を聴く必要はない。コンサルも、アドバイザーも必要ない。自分自身がその会社のことを知っていれば、その駄馬を見分けるコツを自分で編み出せばいい。
これは意外と実行可能なアドバイスではないだろうか。
もちろん、全てのコンサルやアドバイザーが不要というわけではない。自分が知らない会社の事実を明らかにしてくれるそういった職能を持つ人たちは実際にいい仕事をする。
社長の代わりに、会社を把握し、必要な情報をわかりやすく提供する。
さて、自分の会社にいてほしくない要素を挙げたらどうするのか。
これは駄馬を見分けるコツの使い方と同じである。
今の自分の会社の状況に合わせて、どうしても手が必要なのかと問う。
必要であれば、駄馬の条件の少ない順に雇用の優先順位が明確になる。ところが、良馬の条件はというとよっぽどの優良な点を並べても、それが駄馬でないという証明にならないため、リスクがどこかに残ってしまう。
守りの経営は人事から。人こそが事業であり、会社であると言えるのだから、このリスク管理の手法が案外有効だと思われる。
もし、今それほどまで手が必要ないなら、自分の会社にいて欲しくない人の要素を全て満たさないような人でなければ、雇用する必要はないと言えるだろう。
仮に、自分の会社にいて欲しい人の要素をあげてしまうと実は意外と当てはまる人がちょこちょこ出てきてしまうのである。
全ての要素を満たすことはないとしても、ブラックボックス(わからないところ)はホワイトボックス化して見てしまうこともある。
つまり、いいように見えてしまうこともあるのである。
上司でも同じようにこのコツを使うことができる。
上司の場合は、すでに使える部下(馬)が限られていて、状況が特定的だ。
仕事の要素をこうやって欲しくないという要素を絞り出し、そうはしない部下を選ぶ。
こうして欲しい要素を絞り出すとそうやってくれそうな部下を選び、実際にそうしてくれないことを学ぶ。
逆に、こうはしないで欲しいことを部下に伝えるのも有効だ。
それがうまくいくと部下は駄馬ではなくなる。良馬であることよりも、駄馬でないこと。これが成果につながる。
提携先や、業務の委託先などを選ぶ際も、自分の会社や個人にとってどうあって欲しいのかという要素でなく、自分の会社や個人にとってどうあって欲しくないのかという要素をあげていき考慮していく。
そうすると、うまくいく。
夫婦をあげた。もちろん、恋愛相手にもこのノウハウの使い方が当てはまると言える。
どうあって欲しくないのか、どういう相手はNGなのか、こういうリストを持っているだろうか。
このリスト上手に使うことができれば、名伯楽の仲間入りだ。
自分にとってどのくらいその人は自分にとってのNGを出すことが少ないだろうか。
これもまた経験からわかることと思うが、ストレスのない人間関係、マイナスが少ないことによるプラスという観点を軽く見ることはできない。
使われる側のロジック
さて、人生において、使う側に立つばかりが人生ではない。
使われる側に立つことも多い。
どのようにこの駄馬を見分けるコツと良馬を見分けるコツのノウハウを使われる側で生かすことができるだろう。
その点も考えてみよう。
被雇用者だとする。
雇用者に貢献するのが一次的には直接の仕事になるが、雇用者にとって価値があるのは、先に述べたように良馬である要素をたくさん持つよりも、優先されるのは、駄馬ではない要素を満たしていることである。
このことを知っているだけで、一雇用者として抜きん出た存在になれる。
そして、成長のプロセスとして、取り組むべき課題の優先順位も変わってくる。
駄馬の要素を減らすことを最大優先にし、良馬の要素を増やすことは全ての駄馬の要素が無くなったと思えるようになってから取り組むというものだ。
こう考えると真の良馬になるためには一朝一夕に行かないということがよくわかる。
被雇用者側にも言えることではあるが、雇用者としてもあるのが、時に期待しすぎてしまうことである。
NGの要素から取り組み、GOODな要素を足していくようにすれば、それだけで期待というリスクを両方の立場から避けることができるのである。
もちろんこれは、よき取引相手、受注先、部下であることにも役に立つ。
相手にとってのNGを知っていることは、かなりのノウハウであり、他者との区別化でもある。
相手のNGをしないことはそれだけでメリットであり、選ばれる理由になりうる。
これは、もちろん恋愛相手、男女の選ばれる相手としてステップアップする時にも役立つだろう。
相手のNGを知り、それを避けるだけでこの人は大丈夫な人という安心と好感を得られるのである。
さて、最後にこの駄馬を見分けるコツ、良馬を見分けるコツの話を自己啓発的に使って終わりにしよう。
自分の中の駄馬とは?良馬とは?
自分の中にも実は色々な能力や力が隠れている。
人は自分を自分で使う。
そのようなそのようなそのような名伯楽であるべきである。
自分の明かな良い能力は案外すぐに見分けがつくかもしれない。でも、それを使う機会や使える機会は案外少ないかもしれない。
そこでだ。
自分の中の駄馬を見分ける能力を使う。
自分の中で当然、これは駄馬だなと言える能力や力があるだろう。
例えば、体力がないとか、堪え性がないとか、思考に時間がかかるとか…
このような明らかな駄馬は放っておけば良い。構う必要もなく、思いに止める必要すらない。
大事なのは次だ。
よりベターな自分の中の駄馬はどっちだ?という問いである。
まあまあ、いい馬、まあまあ、悪くない馬。
これらの活躍がほとんどだ。
自分の長い人生の中で、自分の最高の馬を繰り出せる時というのは本当に限られている。
まあまあ良い能力、まま悪くない能力や力を繰り出すことができれば、人生は相当効率が良くなってくるのではないか。
こういう仮説が成り立つと思う。
例えば、野球選手のことを考えてみよう。内角高めのストレートを打つのが得意だとする。相手のピッチャーはそういうデータがあるバッターに対して、その球を投げてくるだろうか?
きっとそうではないボールが多く飛んでくる。
1番の得意技を使えることは少ないのだ。
逆に本当に凄いバッターは、得意なところ。次に得意なところ。色々な技を繰り出すことができる。そして、苦手な場所を無くそうとしている。
そうすることで、自分の中の駄馬がなくなり、結果的に良馬になるのだ。
名伯楽が、自分の好む人に名馬を見分けるコツを教えなかったということが、今また深い知恵と感じる理由がここにある。
名馬とは、結果的にそこに見えるものであり、誰の目からも明かな状態にして、徐々にそれは見えてくるものである。
最初からわかっている必要はなく、結果論だったのだ。
一つ一つの駄馬の要素を潰していくとそこに見えるものが、良馬の要素だったのだ。
駄馬とは自分のこと。
良馬とは自分のこと。
自分を駄馬と思っている人は、成功し、自分を良馬と思っている人は成功しずらい。
そんな教訓も最後には引き出すことができた。
謙虚を美徳とする経営者は多いが、こんなこともその理由になっていそうだ。
その考え方は、自らを研鑽し、成長させ、他の人から見ても良馬にどんどん近づく人になれるのである。
了
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