失敗者と成功者と二つに分けることも憚れることではあるが、何かをしようとして、成功したか、失敗したかの分かれ目がないかというとないこともないというのが、その曖昧ながらも適切な表現ではないかと想う。
ところで、割と自分の人生において成功している分野というのが人にはあると想うのだけれど、
その分野は失敗の原因と改善がうまくなされているのではないかと考える。
世の中の成功者学習も個別具体的に見たときに、一次情報でなければ脚色が入りやすいし、たとえ自分で書いたり、話したりしても過去を脚色してしまう人は少なくないはずである。
だからその成功者研究というようなものは、少しばかり、その人と客観的になれる、ある程度の時間軸の中で場所や価値観、時空等を共有、共感した人がはじめていくらか参考になるものをもたらすものだと考える。
だから、ある人について、ある物事について、多角的に意見や状況を整理するというのは、一枚の写真だけでその人を判断するよりも大切なことだと想うのである。
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